芝野堰と芝野新田
芝野新田は、江戸時代の中期に佐竹藩により、水源を岩見川左岸に求めて芝野堰を開削し芝草が生えた広大な原野(芝野)を新田開発して拓かれ、以来250年以上に亘って、先祖代々米づくりで生計を立てて来た歴史を持ち、肥沃な土地と豊かな自然に恵まれた地域です。
藩政時代は出羽国河辺郡(ごおり)芝野新田村、明治になって秋田県河辺郡川添村、昭和の合併で河辺郡雄和村、平成の合併で秋田市雄和芝野新田となり、秋田市の中心街と秋田空港の中間に位置し、芝野堰は現在河辺郡芝野堰土地改良区として、約500haの水田に灌漑しており、弊社の代表が理事長を務め、270haが大型圃場で、残る水田の大型化に向けた基盤整備事業に取り組んでいます。
本地区は雄物川と岩見川の合流点に展開する水田地帯であり、大正4〜6年に10アールに区画整理されていた。しかし、農道は狭く、用排水路が土水路のため、用排水機能が低下し、農作業や水管理に多大な労力を必要としていた。
本事業により、農業の国際化時代に対応した効率的で省力的な農作業の可能な1ヘクタール圃場、用排水路のコンクリート装工、大型機械に対応した農道の整備、暗渠排水による汎用化など、営農コストの低減や生産性向上を実現し、事業を完遂した。
併せて実施した農地集積事業による地域の合意形成を図り、分散農地の集団化、担い手への農地集積を積極的に推進した。さらに新たな農業生産法人を設立するなど、次の世代が意欲をもって受け継いでいくに十分な近代地域へと変貌を遂げた。
ここに、事業の完成の歓びと、この地域の限りない発展を祈念し、記念碑を建立する。